斎藤夏輝、『織田信長の黒人男性家来“弥助”の話がハリウッド映画化』を知る
なんと日本の戦国時代にアフリカ出身の黒人男性がいたということをご存知でしょうか?
その男性の名前は“弥助”と呼ばれ、あの織田信長の家来として戦場になるようになったそう。
今から500年近く前に一人、黒人男性として日本に到着し、当時の日本人でも得ることが極めて困難だった武士の地位として確立した最初の外国人です。
その数奇な運命は日本だけでなく、BBCやCNNといった世界でも報道されるほど注目されています。
そしてこのたび、この実際にいた黒人侍『弥助』の数奇な運命を題材をハリウッド映画化されるそうなのです。
【初の外国人武士・弥助とは】
徳川家康の家臣だった松平家忠は弥助を目にした際のことを記した日記が残されています。
それには、「肌は墨のようで、身長は6尺2分(約182センチ)」と書かれているのです。
1900年の日本人男性の平均身長は157.9cmだったそう。そうなると弥助が生きた16世紀ではもっと低かったはず。
そのため日本人にとって弥助は巨人のような存在だったかもしれません。
歴史学者のローレンス・ウィンクラー氏によると、弥助は1579年に当時の首都だった京都に到着。肌も違う、身長も違う彼を一目見ようと大勢が互いの上によじのぼる騒ぎで、中には押しつぶされて死ぬ人もいたそうです。
残念ながら弥助に関しての出身や生年月日などは記録が残ってないそう。
しかし弥助はイエズス会のイタリア人宣教師ヴァリニャーノの視察旅行に同行して日本にきたそうです。
一部の研究者はヴァリニャーノたちの奴隷だったのではと考えられていますが、資料がないため確証がありません。
弥助のドキュメンタリー映画を製作しているフロイド・ウェブ氏とデボラ・ディスノー氏は、「戦士としての経験がなければ、たった1年で侍に上り詰めることは難しいはずだ」と語っています。
武士階級に生まれた者は通常、子どもの頃から訓練を積まされるからです。
【日本を代表する大名・織田信長との出会い】
イエズス会ヴァリニャーノとも親交があり、キリスト教徒でもあった織田信長は弥助を一目見ようと会いに行きます。
そこで弥助のことを気に入った織田信長は家来とし、弥助はみるみる日本語も武士としても成長していきます。
弥助は、信長と共に食事をする数少ない家臣のひとりだったそうです。
ディスノー氏は、「信長は弥助の体力や体格を褒め、10人力だと説明していた」と話します。
しかも明智光秀が謀反を起こしたと考えられている本能寺の変でも弥助は現場にいたと考えられているのです。
歴史家のトマス・ロックリー氏によると、信長は弥助に介錯を頼み、自分の首を刀と共に息子に送り届けるよう頼んだほどの信頼関係を築いていたと推測されています。
そして信長の死後間もなく、弥助は追放されてしまうのです。
まとめ
日本で生きた黒人男性『弥助』の謎めいた史実について調べました。
このほかにもとても興味深い話がたくさん書かれており、海外では小説になるほど。
ハリウッド映画として制作される弥助の魅力はとてつもないですね。
私斎藤夏輝も映画の詳細について追っていきたいです。
参考記事